WorkaholicなLoserの日常

日頃のモヤモヤを私見で突っ込んでいく

孤独について

2019年12月、世界はまだ「今までの生活」が暫くは続くと謳われても「まぁそりゃそうだろ」程度にしか捉えず、その意味するところを深くは考えなかったかも知れない。その1か月後から世界を取り巻く環境は著しく変化し、メディアでは「マスク着用」や「ソーシャルディスタンス(今はphysical distancingが正式な呼称なのか??)」が声高に叫ばれるようになる。皆さんご存知の「新型コロナウイルス感染症拡大」である。

 

 日本でも時差出勤や在宅勤務、オンライン面談や遠隔授業を採用し、企業も教育現場も一気にオンライン導入が進んだ。個人的にも出社頻度は多少ではあるが下り、同僚と顔を合わせる機会はやや減となり、出社しなければ勤務先近くの行きつけの飲食店にも足が遠のき、そこでしか会うことのない常連仲間との会話も減った。

同僚でお子さんがいる社員から聞くところによると、コロナ禍の小学校生活では「放課後に友達と遊ぶことも少なくなり、ましてや業間休みも皆密を気にして過ごしている」「進級後に新しい友達ができにくくなったらしい」といった現象も起きつつある様子である。

 

 スマホなどインターネットに即時に接続できる端末(以下、インターネット端末)を持っていない場合を除いて、このコロナ禍で私たちの生活は一気に、かなりの部分をインターネット端末に「依存」するようになったのではないだろうか。

  • 街中に出るのも躊躇われ買い物はネット通販で
  • 晩御飯は宅配サービスを使う
  • 飲みに行けないから、代わりにオンライン飲み会
  • 就活・仕事は自宅からオンラインで
  • 前よりも一層、自分の日常をSNSに投稿

別段、こういった行為に嫌悪感を抱いているわけではなく、むしろ適材適所・臨機応変に各々が社会に「気を遣う」生活様式に対応している結果だと認識している。

 

 そこで個人的に気になること、それが「孤独」ついて。国語辞典によると以下のように定義されている。

孤独(読み)コドク

[名・形動]
1 仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。「孤独な生活」「天涯孤独」
2 みなしごと、年老いて子のない独り者。
「窮民―の飢ゑをたすくるにも非ず」〈太平記・三三〉
[派生]こどくさ[名]

出典:コトバンク 孤独とは - コトバンク

※2021年2月20日時点

 

 ここで取り上げるのは「思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。」の意。

自身、特に中学校2年〜高校3年のあたりは幸か不幸かこのような気分になることは多々あった(大学進学後に良き友人に巡り会う環境にも恵まれ、その感覚に陥ることは幸いにも少なくなったが)。その度に「自分とは何なのか」「何がしたいのか」といった自らの感覚に耳を傾け、踠きながらも少しずつ自分のなりの「最適解」を見出し進んできた感はある。そういった経験が今の自分の糧になっていると感じる場面もある。

 

 今の、特に若い世代はどうなのだろうか。良くも悪くもインターネット端末によって24時間365日自 分の「ソト」の世界に、しかも自らの行動範囲を軽々と越え、その気になれば地理的に日本と最も遠い場所にいる人とも繋がれる世界で、「孤独」を感じることはあるのだろうか。

 

「孤独」を感じないと成長できない、など大きなことをいうつもりはない。進んで「孤独」な状況に陥ることを推奨する気もないし、「思うことを語ったり、心を通い合わせたり」できる相手がインターネット端末の向こうにでもいれば、それ自体を「駄目」というつもりもない。ただ、「孤独」を感じて初めて「自分という存在」や、「隠された欲求」に気づく機会もあることを、今の環境下で知ることができるのだろうか。

 

 今読んでいる本『デジタル・ミニマリスト 本当に大切なことに集中する』(カル・ニューポート著、池田真紀子訳)の第2章に、自身の疑問に通ずる内容が記載されている。本書はインターネット端末に溢れた日常生活から、本当に使うサービスを選別し、空いた時間を「オフラインの関係再構築」に充てることを提唱しているが、その中でも「「孤独」な時間に身を投じること」の大切さを論じている箇所がある。興味のある方はぜひ一読されたい。

 

 

思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しい」と、このコロナ禍でたまの間に感じることは何も悪いとではなく、寧ろあって当然のこととは思う。ただ、その時間を紛らわせる方法は、何もインターネット端末で「ソトの誰か」と繋がることが全てではない。そういう時こそ、たまには自らの内面や心の動きに耳を傾けてみるのもいいのではないか。これは若い世代だけでなく、社会を引っ張っていく前線にいる世代にも同様にいえることであり、事によってはそうした行動の中で新たなイノベーションも生まれるであろう。

 浅はかながら、このエントリーに共感する読者が少しでも気に留め、何らかの実践を経る切っ掛けになれば、自身としては嬉しい限りである。

 

 

のぎでした。またの週末にお目にかかりましょう。