WorkaholicなLoserの日常

日頃のモヤモヤを私見で突っ込んでいく

読書と知的好奇心

気付けばこのエントリーが4回目、なんとか約1ヶ月は継続してブログを更新できたということである。先輩ブロガーにとってはそんなもんじゃまだまだといった声をいただくだろうが、自身、特に社会人になってから1か月と続いた習慣はまだない。宣言することとそれを継続することは、小学校の校内マラソン以降の快挙と言っていいだろう。

(校内マラソン:校庭の外周1周で2マス塗っていく塗り絵方式の冬恒例行事。200マスで1枚の塗り絵が完成する。自身は3枚目途中まで達成。)

 

 プロフィールに記載した通り、自身は書店で営業担当として勤務するサラリーマンである。

書店に勤めている、と聞けば人は皆「本好きな集まり」とか「最近面白いと思った本は??」などと異口同音に質問を投げかける。が、振り返ると自身は他人様にお勧めできるような類の本は彼此数年は読んでいない。勿論、昨年は例になく小説を読み漁る時期でもあったが、新刊の小説というより数年前に刊行され、タイトルと表紙のヴィジュアルに推され手に取ったものが多く、有名どころの作者もいるもののタイトルを挙げても「??」という顔をされる、という具合である。

 

 ではどんな本を読んでいるのか。お気づきの読者もいらっしゃるだろうが、当ブログにTwitterのアカウントを一覧いただければすぐに勘づくところであろう。このアカウントは読了した本を備忘録兼ねてツイートしているのだが、一般書(一般大衆を対象にした、普通に書店に並んでいる書籍。対する分類は学術書)ではあるものの、進んで手に取りたいと一般に思われるものではない気がしないでもない。

こうしてみると、「ザ・サラリーマンの本棚だね(会社の同僚)」という声が上がるのも致し方ないのか。

 

 小説やエッセイといった読み物ではなく、一般書をよく読むと聞くと、「勉強熱心」という声も上がるのは否めない。が、しかし、自身は正直「勉強する」為に「本を読んでいる」という感覚は全くもってない。寧ろ、「自らが知りたい(=知的好奇心が擽られる)」と思う分野やトピックスについての文献が「そこにある」から手に取って読んでいる、というのが率直な感触である。

 

 あくまでも自身の考えではあるが、「勉強する」のであればその最短ルートは「学校に通う」ことに尽きる。書籍を通して勉強することも勿論できるが、「学校に通う」メリットとしては下方3点が挙げられると思う。

  1. 五感を使った能動的な活動により、知識の定着が円滑になる。
  2. 授業形態に依るが、基本的には同じ事柄を学ぶ他の「生徒」がいて、切磋琢磨される環境が整っている。
  3. 形式は異なるだろうが、修了した何らかの証が手元に残る。

1について補足しておくと、テキストの文章を読む(視覚情報)、講師の話を聞く(聴覚情報)、ノートやメモを取る(触覚情報)、授業自体の環境を感受する(感覚情報)ことによって、知識の記憶定着がより一層の深度を持つと考えられる。単に独学で本を読む場合、少なくとも視覚情報、読みながらメモを取る場合は触覚情報は網羅されるであろうが、ヒトの五感をフル活用した知識定着に比べると時間がかかるであろう。

 

 その上で、なぜ自身は「学校に通う」のではなく「本を読む」のだろう。ざっと思い巡らせると下方の結論に至る。

  1. 知りたいトピックスが「学校」で設定されているコースや科目にない。
  2. お金がかかるし、「学校に通う」ことによる時間も束縛される。
  3. 何よりも、読書しながら自分の思考の変化や自由な発想を育みたい。

どちらかというと「自身の知的好奇心赴くままに、気軽な気持ちで勉強したい」という気持ちが強いのだろう。こうなると自分で「本を読む」方が効率も良く、何よりも自分のスタンツにあっているのだ。

 

「本を読む」時のスタンツはどちらかというとルーティン化されており、自身の場合は下方のように読み進める。大体2冊を並行して読み進める。メモを取る分時間がかかり読了までのペースは落ちるが、自身としては読んだ内容が定着されている感はある。

  • 先ず気になる本は基本的にすべて買い、積読しておく(1度に纏めて1万円分ほど購入するので、大体5〜6冊程度)。
  • 積読の中で今一番気になるタイトルを2〜3冊手に取り、「はじめに」など冒頭部分のみ目を通す。
  • 「知的好奇心」や「勉強したい」と思うものは、週末に喫茶店で1章ずつのペースでiPadにメモを取りながら読み進める。
  • 「読むだけで良さそう」と感じたものは、就寝前に30分〜1時間程度読み進める。気になることがあれば手帳にメモをする。
  • 読了したら、Twitterアカウントに書評と称しその本の特徴と書影(表紙)を投稿し、積読の山から次の本を選書する。

 

 ここまでざっくばらんにつらつらと書き進めたが、要は「自分にとっての読書は、知的好奇心の赴くままに知識を蓄積する」為の手段であり、特別自身が「勉強したい」「勉強する」為に読んでいる訳ではない。確かに本という媒体は好きであるが、反感を恐れずに記すと、単に「本が好き」で書店で働いているのではなく、「本を通して得られる知識や見識により、人々の生活を豊かにしたい」故に書店を選んだといっても過言ではないだろう。うん、書きながら自らしっくりくる表現で些か満足である。

 

次回は本そのものについての考察でも記そうと思い立ちつつ、今回はこの辺りでキーボードを置くとしよう。

のぎでした。またの週末にお会いしましょう。