文字に出来ることはなにか

「言葉に出来ること」「文字で出来ること」を日常的に考えたい。

月刊誌「ダ・ヴィンチ」休刊から「情報収集に対する姿勢」を考える

2026年5月26日、出版社大手のKADOKAWAのプレスリリースは個人的に大きな衝撃だった。

月刊『ダ・ヴィンチ』休刊決定のお知らせ | KADOKAWA

株式会社KADOKAWAより発刊しております月刊誌『ダ・ヴィンチ』は、2026年11月号(2026年10月6日発売)をもちまして、休刊することとなりました。
(前述リンク先と同:KADOKAWAグループHP 2026年5月26日掲載)

これに関する個人的な感想はnoteに綴っている。
月刊誌「ダ・ヴィンチ」休刊の衝撃|てぅ

月刊誌「ダ・ヴィンチ」とは

1994年創刊の「本の情報誌」である月刊誌「ダ・ヴィンチ」に対する自身の印象は以下の通り。

  • 文芸書(小説やエッセイなど)、コミックス(漫画)の新刊案内や著者(作者)のインタビュー、「有名人・芸能人おすすめの本」など、情報を纏めたもの。
  • 話題の小説がコミック化された際には1話単位で連載されたりもしている。
  • 出版・書店業界であれば図書館司書も選書(どんな本を図書館に置くか検討)の際には目を通すこともある情報源の一つ。
  • 個人的にも「小説読みたいな」といったときの一冊を選ぶ一助となる雑誌。

そんな雑誌が(Web版は運営継続となるものの)休刊することは、日常生活の中では(読書好きな方を除くと)あまり大したことでもないのかもしれない。
SNSやネットサーフィンで気軽に「おすすめの本」を調べることも出来るし、そもそも「ダ・ヴィンチ」の存在を知らない方もいるだろう。

「ダ・ヴィンチ」が、雑誌が休刊することの意味

「ダ・ヴィンチ」のみならず、雑誌が休刊することで何が起こり得るだろうか。
これだけインターネット技術が発展し、手元のスマートフォンやタブレットでいつでも・どこでも情報にアクセスできる環境であったり、SNS上でインフルエンサーが(広告案件であったとしても)「おすすめ」を紹介してくれたり、まだハルシネーションの懸念があるものの各種AIエージェントの回答であったり、わざわざ雑誌を買って情報を収集しなければ、トレンドを掴めない時代ではないのは確かである。

一方で、手元のスマートフォンやタブレットで、「誰かが一方的に発信している情報のみを基に判断する」ことは、自らの選択肢を狭めている傾向に陥ることにはならないだろうか。

情報収集の環境変化

個人的な感触だが、「インターネット以前」は現地に行かないと分からないことが多かった気がする。

  • あのレストランはどんな雰囲気で、提供する料理は美味しいのか
  • 今はどんな本があるのか
  • 新しい服が欲しいけど、自分に似合うものがあるのか

自宅では事前に下調べする術がないが故に、外出してその店(飲食店、書店、服屋)に行かないと、現物を「知る」ことができないことが多かったと思う。
だから一定数の人々は雑誌を手に取っただろうし、それに付随して書店にも足繁く通い、ついでに書籍も買っただろう。
能動的に動かないと、欲しい情報が手に入らなかったといっていいだろう。

そんな一時代から、インターネットによって「いつでも・どこでも・何度でも」情報にアクセスできる時代に変わり、それによって人々も「雑誌がなくても、書店に行かずとも」情報収集できるようになった。言い換えれば「受動的」であっても、欲しい情報が手に入るように変容した、といえるだろう。
企業や(クリエイターを含む)個人経営者からすれば、潜在顧客に対して「一刻も早く」アプローチできれば、自社の製品や作品、サービスを認知されることになる。
顧客とのタッチポイントを社会の変容に合致させると、アピールすべき媒体は必然的にインターネット優勢になる。
こういった背景も一因となり、徐々に雑誌の市場価値は薄れていったといえるだろう。

※もちろん、雑誌の需要減と休廃刊については様々な要因があるわけで、自身の考察がすべてであると論じるつもりは毛頭ない。

情報収集は「受け身の姿勢」でいいのか

「いつでも・どこでも」情報を入手できるようになった現代は、

  • 如何に効率的に情報を収集できるか」
  • 如何に他者に先んじて情報にアクセスできるか

といった指標にも絡めて、様々なサービスが誕生した。その一つがAIエージェント(で活用できる一機能)であろう。
確かに、快適になった。ただ、この流れに身を任せるだけでいいのだろうか。

インターネットやAIエージェントによって出力された情報を、(ファクトチェック含め)きちんと吟味したうえで活用するのであればまだマシだろう。
ただ、検索キーワードで引っかかったウェブ上の記事やAIの回答を右から左に摂取するだけであれば、その姿勢は「自らの視点を狭めた状態で(近視眼的に)、情報収集しているだけ」なように、個人的には思えてならない。

雑誌が果たした(果たしている)役割の一部には、「読者の興味以外の情報も纏められている」ことも挙げられるだろう。

  • 「ダ・ヴィンチ」であれば、「知らなかった作者の新刊が面白そうだから買ってみよう」という購買促進の一役を担っている。
  • ファッション誌であれば、「洋服欲しくて眺めていたけど、スキンケアやファッション小物でも使ってみたい商品に出会えた」といった一面もあるだろう。

もちろん、インターネットの情報でも、気になった部分を芋蔓式に検索していったり、記事内リンクやアフリエイトを踏めば知見は深まるだろうが、意識的にやらないと1つのWeb記事だけで満足して終わってしまう気がする。

情報収集に対する姿勢

  • インターネットやAIではなく、本や雑誌から情報を仕入れろ
  • インターネットやAIで調べたら、都度ファクトチェックしたりキーワードを深掘りしろ

そういったことをこの記事で発したいわけではない。「どのように暮らすか」は他人にあれこれ言われる問題ではなく、個々人が自ら判断する事柄だと考えるから。
ただ、「近視眼的な情報収集を基に判断しようとしていないか」自らを顧みることも、定期的に意識する必要はあるのではないか。
今回の月刊誌「ダ・ヴィンチ」休刊の一報を受けて、感じたことを書き留めつつ、自身への戒めとしてもこの記事を残しておこうと思う。

「何かを発信したい時代に、何で発信するか」

 

たまたまSNSで流れてきた広告に興味を惹かれ、散歩ついでに参加した催しがこちら。

 

【受付終了】ZINEフェス名古屋 2026年5月16日(土)案内ページ|BOOK CULTURE CLUB(シェア型本屋・無人本屋・リソスタジオを運営)

 

この1年ほど、Podcastで色々な情報を見聞きする中でも、

なんとなく「自費出版が盛り上がってるな」という印象はあったものの、

「殆どは東京開催なんでしょ」とリサーチもせずに、

どこか『この世界の片隅にあるもの』的に捉えてしまっていたが、

「実態も知らないのに自分の中で一線を引くのは、何か違うよね」と、

どこから目線なのかわからないツッコミを自らに入れつつ、潜入することにしてみた。

 

そもそも論、「ZINEとはなんなのか」という方は、しまうま出版様が解説している

Webページがあるので、参考に引用するのでご一読を。

 

しまうま出版 (2025年5月13日)

ZINE(ジン)とは?|事例や作り方、販売方法を解説

 

当日は朝11時からオープンとのこと。

まぁ早めの午前中にやるべきことやれば、駆け込み1番で入れるんじゃない??と

高を括ったが、まぁ突発的に決めた予定に合わせて休日にそうそう早起きなんて

できることもなく、会場到着は午後1時と、開場から2時間遅れで現場入り。

独りでふらっと行くのでそんなに気にしない。

ただ、会場に着くや否や、いきなり先例を受けることになる。

 

「なにこれ、来場者多くない??」

 

実際にどれほどの来場者数を記録したのか、確認した範囲ではわからなかったが、

出店は250枠全て埋まったようで、各ブースには来場者がサンプルをみたり、

出店者と語らっていたり、通路によってはスムーズに進めないほど、

ひと・ヒト・人。

ごめんなさい、少し舐めてました。

 

取り敢えずフロアを1周して、気になるブースに目星をつけ、

最終的に4つのブースで合計7,000円分を入手。

どのブースの方も個性的で話しやすく、なんといっても自らの作品に対する

熱量がすごい。本当は4つのブースの出店者を紹介したいが、

元々このイベントに対して記事を書くと思っていなかったこともあり

ご本人様方の許可とか取ってないので、今回は割愛。

 

来場者として乗り込んだZINEフェスだったが、自分なりの気づきを3つ挙げてみる。

 

 1.  出店者の熱量

    「買ってもらえなくても、手にとってもらった方に少しでも自分のことや

   作品について知ってもらいたい」という活気が目にみえるよう。

   少しでも足を止めると話しかけられ、自己紹介を纏めたビラや名刺、

   POPなんかも手渡され、作品より前に「自分が何者なのか知ってもらう」

   そんな意気込みも感じた。

   確かにその場限りの「一期一会」の可能性が高いわけだから、

   「見ず知らずの相手」ではあるものの、作り手の概略が分かれば

   来場者の印象にも残るし、作品への理解も高まる気がする。

   一般流通している書籍だと、大御所や話題の著者でなければ確かに、

   ネット検索なんかして大雑把な略歴やインタビュー記事を見るようなことが、

   こういう場では「自己PR一発勝負選手権」みたいな面もあるかもしれない。

 

   今回は名古屋開催ではあるが、関西や四国から出店された出店者もおり、

   地元開催だけでなく、「遠征してでも自らの作品を多くの人に広めたい」

   「手にとってもらった方と今後も何かの縁で繋がりたい」といった

   気持ちも伝わってきた。

 

 2. ZINEフェス=製本作品、ではない

   これは事前の下調べでもわからなかったが、アクスタやアクキー、

   フィルムカメラで撮影した写真など、製本作品ではない形態の

   作品も全体の2割ほど出店されていた。 写真をプリントして、

   その被写体を刺繍で立体的にした作品なんかは、暫く目を奪われた。

   だからと言って、フリマ(蚤の市)でもない。自らがデザインし産み落とした、

   歴とした「作品」がそこにあった。

 

 3. 伝える場としてのZINEフェス

   作品を購入した、とあるブース出店者の方はこう話していた。

 

   「SNSでもいいけれど、形に残るもので発信し、実際に手にとった方と

   直接コミュニケーションできる場。それが私にとってのZINEフェス」

 

   なるほど、確かに今の時代、フリマサイトで作品を販売することもできるし、

   SNSやブログサービスで発信することはできるけど、

   それはある意味では一方向的な情報・商品流通でしかない。

   口コミやコメントなんて、購入者や受け手・読者から確実に来るとは限らない。

   苦労や挫折、試行錯誤の結果産み出された作品を、直接誰かに届けたい。

   もっと私(作者・出店者)のことも含めて、知ってほしい。

   この思い(欲求)は、ZINEフェス含め「クリエイターズマーケット」な場でこそ

   (完全ではないかもしれないが)満たされる・叶えられるのだろう。

 

もちろん初めて現場で体感したイベントだし、これがZINEフェスの全てだ!!なんて

大層な物言いをするつもりもないけれど、

他者(出店者)の色々な「非日常」が、自分(来場者)の「日常」と交わり合う「熱量」と、

それを育む「直接のコミュニケーション」が体現されたその空間は、

なんとも居心地が良くていつまでも浸っていたい場と感じたことに間違いはなかった。

 

…将来的に出店するかどうか??

今の時点でなんとも言えないけど、何か構想するのもまぁ悪くはない。

「言語化」を考える

凡そ1ヶ月に1度、整体に通う習慣がある。

若い頃にスポーツをやっていて、その際に痛めた膝の違和感改善に

初めて利用してから、通う施術処や重点にする箇所は違えど

定期的にメンテナンスしてもらっている。

 

ここまで説明する必要もないと推測するが、施術を受けるにあたって、

施術者によるヒアリングは毎回実施される。

前回は首や肩を中心に施術したが、今回どこがどう気になって来店したのか。etc

 

この例くらいなら、元々が「身体のここに違和感があるから」という目的がある故に

言語化はそこまで苦にならないだろう。

寧ろ注目したいのは施術中のコミュニケーションのほう。

「ここがこうなってるからここに凝りがあるようです。思い当たることありますか??」

 

目の前の事象や喫緊の課題であれば、すぐにその事象を言語化することは可能だろう。

一方で、何気ない日常から何かを取り出して伝える必要が生じた際を鑑みると、

常日頃から自身の内外についてアンテナを張り、何らかのキーだけでも覚えておいて、

必要に応じて取り出し、「言語化」する作業が生じている気がする。

 

ブログや動画・音声配信、SNSでのインフルエンサーなど、何かしら発信することを

日常に取り入れている人にとっては、日常茶飯事な行動になっていて

そこまで感じていないかもしれない。発信はせずとも、日記・ジャーナリングを

嗜む人にとっても、無意識にやっているだろう。

 

他者を理解するだけでなく、自身、そして自身の半径5メートル程度の環境を

理解すること。そのためにも、擬音語・擬態語で済ませるのではなく、

「こんな感じなの、察して」でもなく、「自らの「言葉」で自らが

「意識的に」発信できる術」をしっかり身につける。

少し前時代的な香りがする、親父の小言のように聞こえるこのフレーズは、

これから先の未来でも、例えばAIに対抗できる、ヒトの武器になり得ると思う。

 

自分自身、こんな文章を綴りつつも振り返ると綺麗事を並べているなと感じる。

ただ、そんな能力が少なからず、まだまだ自分には必要だなと感じる。

もっとソトに放出したい日常の考察を、どうすればもっと的確な言葉で表出できるか。

 

2025年の瀬にそんなことに思いを馳せ、拭き上げた窓ガラスの外の世界を見ている。