凡そ1ヶ月に1度、整体に通う習慣がある。
若い頃にスポーツをやっていて、その際に痛めた膝の違和感改善に
初めて利用してから、通う施術処や重点にする箇所は違えど
定期的にメンテナンスしてもらっている。
ここまで説明する必要もないと推測するが、施術を受けるにあたって、
施術者によるヒアリングは毎回実施される。
前回は首や肩を中心に施術したが、今回どこがどう気になって来店したのか。etc
この例くらいなら、元々が「身体のここに違和感があるから」という目的がある故に
言語化はそこまで苦にならないだろう。
寧ろ注目したいのは施術中のコミュニケーションのほう。
「ここがこうなってるからここに凝りがあるようです。思い当たることありますか??」
目の前の事象や喫緊の課題であれば、すぐにその事象を言語化することは可能だろう。
一方で、何気ない日常から何かを取り出して伝える必要が生じた際を鑑みると、
常日頃から自身の内外についてアンテナを張り、何らかのキーだけでも覚えておいて、
必要に応じて取り出し、「言語化」する作業が生じている気がする。
ブログや動画・音声配信、SNSでのインフルエンサーなど、何かしら発信することを
日常に取り入れている人にとっては、日常茶飯事な行動になっていて
そこまで感じていないかもしれない。発信はせずとも、日記・ジャーナリングを
嗜む人にとっても、無意識にやっているだろう。
他者を理解するだけでなく、自身、そして自身の半径5メートル程度の環境を
理解すること。そのためにも、擬音語・擬態語で済ませるのではなく、
「こんな感じなの、察して」でもなく、「自らの「言葉」で自らが
「意識的に」発信できる術」をしっかり身につける。
少し前時代的な香りがする、親父の小言のように聞こえるこのフレーズは、
これから先の未来でも、例えばAIに対抗できる、ヒトの武器になり得ると思う。
自分自身、こんな文章を綴りつつも振り返ると綺麗事を並べているなと感じる。
ただ、そんな能力が少なからず、まだまだ自分には必要だなと感じる。
もっとソトに放出したい日常の考察を、どうすればもっと的確な言葉で表出できるか。
2025年の瀬にそんなことに思いを馳せ、拭き上げた窓ガラスの外の世界を見ている。