WorkaholicなLoserの日常

日頃のモヤモヤを私見で突っ込んでいく

Loserな日常

前回の投稿から4ヶ月。色々あって暫くお休み頂いておりました。体調はすこぶる元気。単にインプットが少なすぎて一旦小休止した次第。

だからといって何かネタを仕込んでいたわけではなく、ただただ漫然ともどかしい日々をす期していただけなんですが。

 

緊急事態宣言も延長の延長、解除されても蔓延防止重点措置、若しくは各都道府県の独自措置と、結局は新型コロナと

1年半も戦っているわけで、某政府の人間の「1年で収束させる」とか「五輪は勝利の証」とか、ひとつも達成されていない日常で、

テレワークにならない自身の職場に毎日通い詰め、飲み屋では騒げず(そもそも開いてない)で、何をどうしたら「有意義な」生活を

送れるのかと。まぁ不平不満ばかり綴っても意味ないんですけどね。

 

 

Loser(負け犬)と簡単に自身を呼称できる自分だが、大学を卒業するタイミングから何かにつけて口にしたり、SNSのアカウントに

付与したりするようになった。産んでくれた親にしたらキレるだろうけど、自身の記憶がある限りで思い返すとこの単語ほど

己を形容するものはない。

長い物には巻かれろな中学時代。一匹狼みたいに周りと距離を置くよう努めた高校時代。受験失敗を引きずって孤軍奮闘した大学時代。

内定がひとつも出ず、藁にも縋る思いで入社したブラック企業時代ー。

他者との比較ほど無意味なものもないが、所謂「小説や映画、街中に溢れる」サクセスストーリーとはかけ離れた自らの環境を恨むと

同時に、「それを変えられるのは自分自身」という当たり前なことに向き合えず、日々を過ごした時期。少女漫画でいうところの

「悲劇のヒロイン」な感傷に浸っていたことを、今になって振り返れば痛感する。

 

そんな自身も、転職を機に少しは感覚も変わってくる。この4年は特にそれを体感している。

ブラック企業時代はなかったほどに前向きになったし、自らをひけらかして他者に何でも話せるようになった。

「環境が変われば人は変わる」と誰もが言いそうなフレーズだが、まぁその通りなんだろうな。

 

ただ、単に環境を変えるだけであれば金銭的な問題さえ解決すれば誰でも達成できる。学校でのいじめ問題も、

じゃあ加害者或いは被害者が転校すれば解決かと言われると、残念ながらそうではないだろう。

特に被害者側からしたら酷な言い方に聞こえるだろうが、最終的には「自分次第」なのだ。

 

「過去に向き合った上で、自らはどう生きたいのか」

 

ヒトは朝起きたら別人になっていることはない。昨日までの意識や意図、思考の上に「私」が確立されている。

だとすると、「昨日までと別人になる」には、長い年月をかけて細胞レベルで自らを変える必要がある。

自身が変わったように感じる(或いは錯覚している)のにも、4年かかっているわけだから、生半可な決意では達成できないのであろう。

「だから諦めろ」とか「頑張れ」というつもりは毛頭ない。かけるべき声はひとつしかないのだから。

 

「正解はひとつもない。信じた道を裏切らずに突き進め。」

 

自身が今あるのは、自らのLoserな過去があるからこそ。

だからこそ、自らをLoserと呼称することになんの嫌悪感も、なんの自己意識もない。

自分自身がLoserなんだから。