WorkaholicなLoserの日常

日頃のモヤモヤを私見で突っ込んでいく

全体像を捉えて、俯瞰して眺める

先週までひたすらに働いた結果、休日出勤1日分の振替を取る必要が生じた。ということで今日を休みにした。

休みにしたと言っても特段やることもやりたいこともなく、かといってダラダラと時分を費やすこともできず、結局職場の最寄りにある煙草の吸える喫茶店に久々来てみた。土日祝臨時休業にしている店舗だから、かれこれ4ヶ月ぶりくらいか。

平日にも拘らずビジネススタイルに身を包んだ男女が打ち合わせに利用している。平日だからか、それとも春休み期間に突入したからか、いつものネズミ溝紛いの若者たちの姿は見えない。成程、やはり土日祝臨時休業の理由はこれか。

 

転職してこの3月で丸4年が経ち、5年目を迎えた。1年後には前職での在職期間を追い抜くことになる。今のところ、この職を手放して次なる場所を目指すようなことは考えていない。再転職のモチベーションがないのではなく、今の仕事内容にや業務の幅に満足しているからだ。給与面が幾許か改善されればいうことなしだが、斜陽業界故よっぽどの天変地異がないとこれは期待できない。

 

前職の頃の自分と今の自分とで、何が変わったのだろう。

性格というか、職場でのキャラクターはガラッと変わった。というよりも変えた。変わる必要は特段なかったが、以前のスタイルに近い人間が今の職場にいる。というより、ほぼそんなキャラばかりだった。偏見でしかないが、文学少年少女たるもの、真面目さの上に生真面目さが乗っかっている感じ。多少無理してでもチャランポランな人間を演じ、但しキッチリ締めるところは締める。そういったギャップを社内で、更には(いいかどうかは別にして)出せる客先については出していく。ぶっちゃけて話せる客先担当者にはぶっちゃけて、見返りに契約とか向こうの事情を仕入れる。時には「前職がその業界だったら、そうだよね」みたいなことも言われるが、いやいやそうではない、こちらの何を知っててそんなコメント出てくるんだ、前職では牧場犬ならぬオオカミに追われながら必死に柵の内側を延々と走り回る羊だったよ。

周りの様子も具に観て、状況を把握出来るようになった。誰がどういう仕事をしていて、今誰が手が空いているか・忙しくしているか、誰が誰にどんな指示・質問・相談をしているか。それらを総合して今の職場がどのような状況にあるか。「今のタイミングでこの人に仕事を振っていいか」「空気悪そうだからちょっと雑談入れてみるか」「この質問が出るってことは、コイツはここまでは理解しているな」「この回答なら、他にこういうケースは想定していない」ー。そんな分析を自分の中で蓄積できるようになった。

 

総じて、「全体像を捉える」ことはできるようになったと思う。ただもう一歩先を見据えると、「俯瞰して眺める」ことはまだできていない。

 

個人的に「全体像」とはその一時点で生じる事象で、あくまでもひとつの「点」。「俯瞰して眺める」と、その「点」の連続性で見える景色は「線」になっていて、更に時間的、空間的な側面も踏まえるとちょうど方眼紙のような「面」になっているはずだ。

方眼紙の考え方をそのまま用いてみる。縦軸を空間、横軸を時間と捉えると、「全体像」は、あくまでも「とある空間で、とある時間に起こった事象」の「点」で、その「点」だけでは過去も未来も見通すことはできない。但し、縦軸の空間にバリエーションを持たせること、そしてそのバリエーションを時間的経過とともに具に観察していくと、過去から現在に至るまでの「経緯」が自ずと見えてくるはず。

 

あくまでもまずは今の職場を俯瞰的に眺めることができれば、その後は会社全体、社会全体を俯瞰で眺めることが目標。そうすれば、斜陽業界の中での我が社の立ち位置や今後挑戦すべき分野、社会の動きと今後のトレンドに関するある程度の個人的解釈が持てるようになるだろう。そこまでいくことが当面の目標で、その先に何を為したいか・為すべきかはそこに至ってから考える。

 

そんなことを倩倩書き綴っていたら折角のコーヒーが冷めてしまった。これもコーヒーに想いを馳せることなく、俯瞰的に自身の環境を眺めることができない代償なのかもしれない。